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東京高等裁判所 平成10年(ネ)5223号 判決 1999年5月26日

兵庫県西宮市甲子園高潮町六番二五号

控訴人(原審被告)

株式会社鹿砦社

右代表者代表取締役

松岡利康

兵庫県西宮市甲子園七番町二一-三〇

控訴人(原審被告)

松岡利康

右両名訴訟代理人弁護士

清水正英

酒井清夫

東京都中央区京橋三丁目五番七号

被控訴人(原審原告)

株式会社主婦と生活社

右代表者代表取締役

遠藤昭

東京都港区海岸一丁目一五番一号

被控訴人(原審原告)

株式会社扶桑社

右代表者代表取締役

中村守

東京都大田区上池台四丁目四〇番五号

被控訴人(原審原告)

株式会社学習研究社

右代表者代表取締役

小松敏郎

東京都中央区銀座三丁目一三番一〇号

被控訴人(原審原告)

株式会社マガジンハウス

右代表者代表取締役

赤木洋一

右四名訴訟代理人弁護士

野間自子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた判決

一  控訴人ら

1  原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文と同旨

第二  事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する(但し、原審原告中居正広、同木村拓哉、同稲垣吾郎、同森且行、同草彅剛及び同香取慎吾の各請求に関する部分を除く。)。

一  原判決の訂正

1  原判決別紙六「対照表」(以下、単に「対照表」という。)の番号45の「原告記事」欄(上欄)のうち、五〇頁一行から五行の部分を「、いまはもうずいぶん自由に体が動く。研究しましたもん。ボビー・ブラウンとかマドンナとかのビデオを見て、自分では思いもつかない振り付けにビックリして、必死でまねした成果かもしれない。」に改める。

2  対照表番号77の「被告書籍」欄(下欄)の九一頁七行から八行の「草 がオチを言う」を「草彅がオチを言う」に改める。

二  当事者の主張の付加

1  控訴人らの主張

(一) 被控訴人記事は、いずれも原告個人ら(原審原告中居正広、同木村拓哉、同稲垣吾郎、同森且行、同草彅剛及び同香取慎吾を指す。)に関する事実を内容とするものであることは明白である。

しかるところ、そのうち、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>は、その体裁においても、原告個人らのインタビューに答えた発言をそのまま文章化した表現形式をとっており、その故に、これらの記事は、その言い回しや語り口を含めて、原告個人らそれぞれの「思想又は感情」の表現そのものとして読者らに理解されるべき記事として作成されたものである。

したがって、右各記事は、その内容が該各記事の執筆者ら自身の思想又は感情の表現ではなく、該執筆者らとしては、原告個人らに対するインタビューの結果を単なる事実(社会的事実、歴史的事実、自然現象等に関する事実等)として、忠実に、ありのままに発表したという体裁をとっているものであり、その購読者らとしては、原告個人らの思想及び感情がそのまま文章化された記事として受け止められ、かつ、理解される性格の著作であり、決して被控訴人らの思想又は感情の表れとして理解されるべき性格のものではない。

そうすると、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>は、その執筆者の創作的特徴の認められないものであり、また、原判決の認定するとおり、原告個人らの著作物でもない以上、原判決のいう「既存の著作物の内容となっている事実」と目すべきもの、すなわち著作権法一〇条二項の「事実の伝達にすぎない雑報」である。そして、控訴人書籍は、右各記事についてはその事実のみを抽出してこれを再生したものであるから、原判決のいう「既存の著作物中の創作性の認められない部分を利用したにすぎない」ものとして、被控訴人らの著作権を侵害したものということはできない。

(二) また、執筆者の発問を受けて、原告個人らが二人ずつ対談するという形式である被控訴人記事<7>、原告個人らの発言として記載された部分と執筆者の意見や感想とが一体化した文章となっている被控訴人記事<6>及び<15>、原告個人らの発言のみを記載した部分、執筆者の意見や感想が挟み込まれた部分、第三者との対談形式の部分、第三者のコメントを記載した部分等がある被控訴人記事<16>、執筆者の原告個人ら全員に対するインタビューの部分、原告個人ら各人への一問一答等から成る被控訴人記事<17>についても、次に摘記するものは、明らかに原告個人らの発言内容そのものを記事とした体裁であって、右(一)と同様、「既存の著作物の内容となっている事実」に当たるものであり、したがって、これらについても、控訴人書籍により被控訴人らの著作権が侵害されたものということはできない。

(1) 被控訴人記事<7>(但し、原判決が著作権侵害を否定した対照表番号25、26、87を除く。)の全部(対照表番号16、86、88、89)

(2) 被控訴人記事<6>及び<15>(但し、原判決が著作権侵害を否定した対照表番号54A、56、101、102を除く。)のうち対照表番号27、32A

(3) 被控訴人記事<16>(但し、原判決が著作権侵害を否定した対照表番号28、45、111を除く。)のうち対照表番号20、23、24、29A、29B、30、31、46、47

(4) 被控訴人記事<17>(但し、原判決が著作権侵害を否定した対照表番号94、99、100、103ないし106、112ないし116を除く。)の全部(対照表番号95、107)

そうすると、被控訴人記事<7>、<6>、<15>、<16>、<17>(但し、原判決が著作権侵害を否定ものを除く。)のうち、残るものは、被控訴人記事<15>の対照表番号41、55、63及び被控訴人記事<16>の対照表番号7、60、61、62、93のみとなるが、これらについても、被控訴人記事と控訴人書籍とがその創作性につき別異の本質的特徴を具有するものであって、控訴人書籍が対応する被控訴人記事を複製、翻案したものであるとは認められない。

(三) さらに、被控訴人記事<5>及び<9>は、原告個人ら又は「SMAP」に関する第三者の発言を紹介し、あるいはこれらの発言を紹介しながら執筆者自身の意見や感想を表現しようとするものである。

右各記事に対応する控訴人書籍の記述は、右の発言を事実として紹介しつつ、その執筆者自身の創作性に富む意見、感想等を文章化したものであり、右発言などを利用し、引き合いに出しながら記述されているものの、あくまでも原判決のいう「既存の著作物の内容となっている事実」、すなわち、創作性の認められない部分を利用したにすぎないものであるから、控訴人書籍によつて被控訴人らの著作権が侵害されたものということはできない。

(四) 以上のとおり、控訴人らが、被控訴人記事に係る著作権を侵害した事実は存在しない。

2  被控訴人らの主張

控訴人らは、被控訴人記事につき、その体裁において原告個人らのインタビューに答えた発言をそのまま文章化した表現形式をとっているから、執筆者の創作的特徴の認められないものであり、控訴人書籍は、右各記事の内容となっている事実のみを抽出してこれを再生したものであるから、原判決のいう「既存の著作物中の創作性の認められない部分を利用したにすぎない」ものであると主張する。

しかしながら、被控訴人記事のようないわゆるインタビュー記事において、インタビューから記事の創作までの過程は概ね原判決が認定したとおりであり、インタビュー記事といえども、その執筆者には、対象となる者の何をテーマとし、何に焦点を当て、どのような発言を引き出すか、得られた発言をどのように取捨選択し、どのような順序に並べ、どのような文章とし、どのような見出しを付けて一個の記事として完成させるかという高度な精神作用が要求されるものである。被控訴人記事においても、その執筆者は、原告個人らの発言を、そのまま表現にも順序にも手を加えないで記事にしたものではない。

したがって、被控訴人記事が被控訴人らの著作物であることは明白であり、それ故、原告個人らの発言そのものの部分も創作的表現であって、控訴人らの主張するような「既存の著作物の内容となっている事実」ではない。

右のとおり、控訴人らが被控訴人らの著作権を侵害したことは明らかである。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所も、被控訴人らの控訴人らに対する本件請求は、原判決が認容した限度で理由があるものと判断する。

その理由は、控訴人らの当審における主張に対し、次の二のとおり判断するほかは、原判決の「第三 争点に対する判断」欄の記載と同じであるから、これを引用する(但し、原審原告中居正広、同木村拓哉、同稲垣吾郎、同森且行、同草彅剛及び同香取慎吾の各請求につき判断した部分を除く。)。

二  控訴人らの主張について

1  控訴人らは、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>が、原告個人らに関する事実を内容とし、その体裁においても、原告個人らのインタビューに答えた発言をそのまま文章化した表現形式をとっており、その故に、これらの記事は、その言い回しや語り口を含めて、原告個人らそれぞれの「思想又は感情」の表現そのものとして読者らに理解されるべき記事として作成されたものであり、その執筆者の創作的特徴の認められないものであるとして、著作権法一〇条二項の「事実の伝達にすぎない雑報」であると主張し、また、原判決のいう「既存の著作物の内容となっている事実」であり、控訴人書籍は「既存の著作物中の創作性の認められない部分を利用したにすぎない」とも主張する。

右主張は、必ずしもその趣旨が明瞭とはいえないが、著作権法二条一項一号にいう「思想又は感情」が人間の精神活動全般をいい、また「創作的」が思想又は感情を表現する具体的形式に作成者の個性が表れていれば足りること、したがって、客観的事実を素材とする表現であっても、取り上げる素材の選択や配列、具体的な用語の選択、言い回しその他の文章表現に作成者の個性が認められ、作成者の思想、感情が表現されていれば著作物に該当するが、人事異動、死亡記事等の事実のみを羅列した記事が著作物に当たらず、同法一〇条二項が「事実の伝達にすぎない雑報」等について著作物に該当しないとしたのは、そのことを確認的に規定したものであること、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>を含む対照表記載の被控訴人記事が、原告個人らに関する事実を内容とするものであっても、当該事実を別の表現方法を用いて記述することも可能であると解され、したがって、対照表記載の被控訴人記事はいずれも具体的な文章表現にその作成者の個性が表れており、著作物と認められることは、前示(原判決二一頁五行から二三頁七行)のとおりであり、そのうちの被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>が、著作物に該当しない同法一〇条二項の「事実の伝達にすぎない雑報」であるとの主張は失当である。

また、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>が、原告個人らのインタビューに答えた発言をそのまま文章化した体裁をとっているとしても、そのことが、素材の選択や配列、具体的な用語の選択、言い回しその他の文章表現を含んだ<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>の被控訴人記事自体が著作物であることを否定する理由とならないことは、右に述べたことから明白である。なお、控訴人らの主張に係る「既存の著作物の内容となっている事実」又は「既存の著作物中の創作性の認められない部分を利用した」とは、既存の著作物の利用が著作権(複製権又は翻案権)侵害となるかどうかを判断するに当たって、右のような既存の著作物の具体的な用語の選択、言い回しその他の文章表現を捨象し、該文章表現の内容たる事実のみを抽出して再製(利用)したような場合の、その事実又はそのような利用を意味するものであることは、上如の説示(原判決三七頁四行から九行)から明白なところであって、<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>の被控訴人記事自体を目して「既存の著作物の内容となっている事実」とするものではない。

さらに、控訴人らの前示主張が、被控訴人主婦と生活社及び同学習研究社が被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>の著作者に当たらないとする趣旨であるとしても、該主張を採用することはできない。すなわち、被控訴人記事のような文書として表現された言語の著作物において、著作者とは、実際に、文書の作成に創作的に携わり、文書としての表現を創作した者をいうところ、<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>を含む被控訴人記事について、実際にその文書の作成に携わり、これを創作したのが各記事の執筆者であり、かつ、各執筆者は、著作権法一五条一項所定の法人等の業務に従事する者に該当して、同項により、被控訴人らが被控訴人記事の著作者であると認められることは前示(原判決二三頁一一行から三二頁五行)のとおりであり、被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>に関して、該各記事が原告個人らのインタビューに答えた発言をそのまま文章化した体裁をとっているとしても、実際の作成過程が右のとおりである以上、別異に解すべき理由とはならない。

したがって、控訴人らの前示主張は失当として、これを採用することができない。

2  控訴人らは、被控訴人記事<7>(対照表番号25、26、87を除く。)の全部(対照表番号16、86、88、89)、同<6>及び<15>(対照表番号54A、56、101、102を除く。)のうち対照表番号27、32A、同<16>(対照表番号28、45、111を除く。)のうち対照表番号20、23、24、29A、29B、30、31、46、47、同<17>(対照表番号94、99、100、103ないし106、112ないし116を除く。)の全部(対照表番号95、107)について、原告個人らの発言内容そのものを記事とした体裁であるとして、「既存の著作物の内容となっている事実」に当たると主張するが、右主張が採用し得ないことは右1で被控訴人記事<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>について述べたことと同様である。

また、控訴人らは、被控訴人記事<15>の対照表番号41、55、63及び同<16>の対照表番号7、60、61、62、93について、該被控訴人記事と控訴人書籍とがその創作性につき別異の本質的特徴を具有するものであって、控訴人書籍が対応する被控訴人記事を複製、翻案したものではないと主張するが、対照表記載の該各被控訴人記事とこれに対応する控訴人書籍の記述とを、それぞれの具体的な文章表現に着目して対比すれば、控訴人書籍が対応する被控訴人記事を複製(被控訴人記事<15>の対照表番号41、55、63、同<16>の対照表番号7、60、62、93)又は翻案(被控訴人記事<16>の対照表番号61)したものであることが明瞭であり、控訴人らの右主張も採用することができない。

3  控訴人らは、被控訴人記事<5>及び<9>に対応する控訴人書籍の記述が、右各記事によって紹介された第三者の発言を事実として紹介しつつ、控訴人書籍の執筆者自身の創作性に富む意見、感想等を文章化したものであり、「既存の著作物の内容となっている事実」、すなわち、創作性の認められない部分を利用したにすぎないものであると主張する。

しかしながら、<5>及び<9>を含む被控訴人記事が被控訴人らを著作者とする著作物と解されることは右1のとおりであり、さらに、被控訴人記事<5>及び<9>における第三者の発言部分それ自体が「既存の著作物の内容となっている事実」に該当しないことは、右1のとおり、<1>ないし<4>、<8>、<10>ないし<14>の被控訴人記事自体がこれに該当しないのと同様である。

そして、対照表記載の被控訴人記事<5>(対照表番号57A、66、80Bを除く。)及び同<9>(対照表番号68A、68B、76A、76B、78B、79、80A、82、84、90を除く。)とこれに対応する控訴人書籍の記述とを、それぞれの具体的な文章表現に着目して対比すれば、控訴人書籍が対応する被控訴人記事を複製(被控訴人記事<5>の対照表番号57B、57C、58A、58B、59、64、81、83、同<9>の対照表番号65、67、69、72、73、75、77、78A、92)又は翻案(被控訴人記事<5>の対照表番号74)したものであることが明瞭である。

したがって、控訴人らの右主張も採用することができない。

三  よって、原判決は正当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

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